コンピュータ将棋基礎情報研究所

コンピュータ将棋に関する基礎的な情報を収集し、分析し、発表する所です。英語名称はLaboratory for Fundamental Information on Computer Shogi (LFICS)。

物理学の代表的な模型の一つに「ランダム・ウォーク」というものがあります。これは、物体が乱雑にフラフラと動き回る現象を模型化したものであり、酔っ払いの歩き方に似ていることから「酔歩」と訳されます。

よく知られている例としては、鉱物の粉や花粉から出る微粒子が水中で不規則に動き回るブラウン運動が挙げられます。微粒子は多数の水分子の衝突によってランダムに力を受けるわけですが、その単位時間における合計は必ずしも零にはならず、微粒子の不規則な運動を引き起こします(カジノで儲かる人と損する人がいるのと同じことです)。この運動は「酔歩」として模型化でき、このことはアインシュタインの1905年の著名な論文の内の1本のテーマになっています。

「酔歩」では、微粒子の位置は確率的に決定され、その確率分布は、歩けば歩くほど、広がっていきます。このことは、外部ノイズによって、微粒子の位置情報がどんどん拡散して失われていくと言い換えることができます。また同時に、長い時間スケールで見れば、微粒子の位置情報が失われて、水と微粒子が混合した平衡状態になるということも意味しています。このように、ミクロとマクロを結ぶ模型として、物理学では「酔歩」をよく考えます。

将棋における評価値の動きは不規則であり、一見すると「酔歩」に近いようにも見えます。果たして、将棋は酔歩模型で説明できるのでしょうか? 今回は、このことを検証してみたいと思います。

まず、酔歩模型の種類としては、なるべく簡単に、一手ごとに正規分布に従う確率で評価値が上がったり下がったりするものを考えましょう。手番の違い等、細かいことは平均化されているとして気にしないことにします。

ただし、評価値の数値は、絶対値が小さい局面でも大きい局面でも一手ごとの動きが同じになる様に、生の数値Vではなく、

\[X = F(V)\]

と変換された変形評価値Xを用います。ここで、関数Fは、単調増加する奇関数で(F(-V) = - F(V))、|V|が大きいところでは傾きが零に近くなるような関数です(例えば、tanh)。変形評価値の規格化は、勝敗が決する値を±1とします。

この簡単な模型でシミュレートすると、実際の手数分布を再現することはできません。実際、唯一の変数である一歩の標準偏差を平均手数に合わせるように決めると、手数分布が広がりすぎて、実際の分布とは全く違った形の分布になってしまいます。

この原因は、序盤の手や必然手、終盤の手の取り扱い方にあると考えられます。序盤の指し手は双方が均衡を保つように指すため、酔歩のようには進行しません。また、必然手もスキップするようなものであるため、酔歩的ではありません。さらに、実質的に勝負がついた後も、すぐに終局するわけではなく、手を進めて形を作ってから(ソフトなら詰みまで指してから)投了となりますが、その間の指し手も酔歩にはなりません。

これらの非酔歩手は、酔歩模型とは切り分けて、まとめて取り扱うこととし、こちらも正規分布に従う確率で手数が決まると仮定しましょう。

結果的に、一歩の標準偏差A、非酔歩手数の平均Mと標準偏差Sの3つが調整可能な変数となります。これらの3つの変数は、手数分布の平均、標準偏差(平均からの2次モーメント)、平均からの3次モーメントを合わせるように決定することにします。

手数分布については、簡単のために、ガンマ分布を採用して比較を行います。ガンマ分布と手数分布の詳細については「手数分布はガンマ分布で近似できるか?」の記事をご覧ください。

実際に、棋士棋譜集(2015年11月版)とfloodgate棋譜集(2012~2015年版)において、比較を行った結果を下図に示します。青線がガンマ分布で、黒点がそれぞれ1億回のシミュレーションの結果です。

random_walk

さすがに3つの変数で調整すれば、大体は合わせることができます。未調整の量である平均からの4次モーメントについては、両者ともガンマ分布と4%弱の違いがあります。

具体的に、変数の値は、棋士棋譜集(上図)では、A = 0.2474、M = 95.46、S = 21.72となり、floodgate棋譜集(下図)では、A = 0.2262、M = 107.4、S = 25.13となっています。

棋士よりもソフトの方が非酔歩手数の平均が12手ほど大きいのは、投了方法の違いに依るものと思われます。また、酔歩の一歩の標準偏差が少ない(酔歩部分の手数が3手ほど長い)のは、その分だけ互いの読み筋が合っているためだと考えられます。この解析が正しいとすれば、以上の2つの要因が合わさって、棋士棋譜集よりもfloodgate棋譜集の平均手数が大きくなっていると解釈できます。

結果的に、上記の模型が正しいとして、形勢が揺れ動く酔歩部分は平均して1局で21~24手程度ということになります。この解析が妥当であるかは難しいところですが、解析結果を見ると、そんな感じもしてきます。

以上、今回は、将棋の手数分布が酔歩模型で説明できるかを検証しました。結果として、もし酔歩模型が妥当であるとするならば、酔歩部分は平均して1局で21~24手程度だということが分かりました。

今年(2016年)の大晦日は電王戦合議制マッチが行われます。第3回将棋電王トーナメント(2015年)版のPonanza、nozomi、大樹の枝(多数決合議)と森下卓九段、稲葉陽八段、斎藤慎太郎六段の3名の棋士が合議制マッチで対局するという企画です。

この企画については、「ニコニコ超将棋会議3五角は成立していたか?:合議と熟議」の記事でも触れ、また、「多数決合議と楽観合議」についても付記しています。

付記の内容は、簡単にまとめると、以下のようになります。

  • 棋力差の少ないソフトの合議については伊藤毅志先生等の研究があり、例えば、「コンピュータ将棋の進歩6」では、Bonanza、YSS、GPS将棋(当時のレート差150以内)の多数決合議が有意に強くなり、また、楽観合議はそれ以上に強くなるとの報告がある。
  • 多数決合議の有効性は簡単な数理モデルで示すことができ、ソフト間の相関を無視すれば、ソフト間の棋力差が小さければ、最善手率が最強参加者を上回り、また、棋力差が大きくなると有効に機能しなくなるということが分かる。
  • 楽観合議は評価値期待値の最大化の簡易版と解釈できる(※楽観合議については、さらに別の解釈が可能であることを今回の記事で示します)。
  • 合議と最強参加者との比較は、多数台と1台との比較になるので、注意が必要。

今回は、もう少し詳細な模型を用いて、合議の効能について改めて考えてみたいと思います。

模型の詳細は以下の通りです。

  • ある局面において、参加ソフトよりも十分に強いソフトが示す有効な候補手の数をnとして、残りの合法手は無視する。最善手(以下、真の最善手)の評価値をA、残りの候補手の評価値を一定のBであると仮定し(※Bは平均値に相当)、その差をd = A - Bとする。
  • 各々の候補手に対する各ソフトの評価値は正規分布に従って確率的にばらつくものとする。また、各ソフトの評価値の規格化は揃えられており、確率分布に偏りはないものとする。
  • 各ソフト毎に各々の評価値における最善手と最大評価値のみが合議のために利用可能。
  • 各ソフト間の相関は基本的には考えないが、後で簡易的に検討する。
  • 合議の結果が真の最善手とどれだけ一致するかという“最善手率”を測定する。

さらに、電王戦合議制マッチを意識し、具体的に3者の合議を考えて、3者の正規分布の標準偏差をそれぞれ

\[s_{1} < s_{2} = s_{3}\]

と仮定します。ここで、「1」が最強者であるPonanza、「2」と「3」がnozomiと大樹の枝を想定しています。結果的に、模型は、局面の情報である候補手nの他に、

\[\frac{s_{1}}{d}~,~ \frac{s_{2}}{d}\]

の2つの変数で決まることになります。

下図に、候補手n = 2と3の局面における様々な合議の最善手率を示します。最強者の標準偏差は一定にして、横軸は下位ソフトの標準偏差を取り、横軸が大きい程、ソフト間の棋力差が大きくなるようにしています。変数の値は、一致率や有効分岐数のデータの整合性から、それなりに適当な範囲になっていることを期待しています。各点はそれぞれ1千万回のシミュレーションの結果です。

council_1

まずは、合議せずに各ソフト単独で指した場合の最善手率を黒線で示します。上の線が最強ソフトの最善手率で、下の線が下位ソフトの最善手率です。両者が乖離するほど、棋力差が大きいことを表しています。また、合議の最善手率が最強ソフトの最善手率(上線)を下回ってしまうと、最強ソフト単独で指した方が強いということになってしまいますので、合議の意義が失われます。

電王戦合議制マッチで採用されている多数決合議の最善手率を緑点で示します。ソフト間の棋力差が小さい内は有効に機能しますが、大きくなると機能しなくなる様子がグラフから読み取れます。

今回は、模型が簡単ですので、最善の結果を期待できる合議システム(以下、最善合議)も簡単に計算することができます(※記事の最後に詳細を付記)。その結果が黒点であり、合議の仕組みを頑張って調整した時の最大値を与えるものです。こちらも多数決合議と同様に、ソフト間の棋力差が大きくなるほど、合議の効果は薄れていきますが、多数決合議とは違い、合議の機能が失われることはありません。

評価値が最大の指し手を選ぶ楽観合議の結果を赤点、最小の指し手を選ぶ悲観合議の結果を青点で示します。悲観合議は全く機能しませんが、楽観合議はソフト間の棋力差が小さければ有効です。この機構の詳細な解説は長くなるので省略しますが、大まかには、正規分布(もしくは類似の分布)型の確率分布であれば、評価値が高い指し手が真の最善手である確率が高いため、下位ソフトによるノイズが小さければ、楽観合議は機能すると説明できます。

グラフ全体を眺めると、多数決合議がかなり優秀で、楽観合議は多数決合議に劣るという結果になっています。この結果を見る限りは、電王戦合議制マッチにおける多数決合議も効果的である可能性が高いように思えてきます。

しかしながら、果たして、この結果は現実的に妥当なものだと言えるでしょうか? 実際、伊藤先生等の研究では、多数決合議は楽観合議を下回る結果となっており、今回の結果とは矛盾しています。

この矛盾を追及し、現実的な合議の効能を考えるには、今まで無視してきたソフト間の相関を考えなければなりません。実際に、将棋ソフトには共通の特徴があることも考えられますし、特に今回の電王戦合議制マッチに使われるnozomiと大樹の枝は同系統のソフトであるため、相関を無視することは現実的ではないでしょう。極端な例として、仮にnozomiと大樹の枝が完全にシンクロすることがあるとすれば、多数決合議の結果はそれらの単独の指し手と一致してしまい、合議は確実に機能しません。

一例として、下位ソフト間のシンクロ率を50%にした時(※50%の確率で指し手と評価値が一致)、各ソフトの指し手の一致率は下図のようになります。相関がない時の下位ソフト間の一致率が青点であり(最強者との一致率は赤点)、シンクロ率50%の時の一致率が黒点です。

council_syn

無相関時の青点は、完全にランダムな場合の1/2(上図)と1/3(下図)を少し上回る程度であり、同系統ソフト間の一致率を再現できていません。シンクロ率による相関を入れることで、黒点のように、一致率を大きく向上させ、現実に近づけることができます。

シンクロ率50%の相関がある時の多数決合議と楽観合議の結果を下図に十字点で示します。無相関時の結果の丸点は上図と同じです。

council_2

楽観合議の方は相関に対して頑強であり、結果は大きく変わりませんが、一方で、多数決合議の方は相関の影響が大きく、最善手率が大きく低下します。結果的に、楽観合議と多数決合議が逆転して、楽観合議の方が優位となり、実際の報告に近い結果が得られます。

まとめると、合議において重要なのは、棋力の均質性(棋力差を少なく)と棋風の異質性(同調を少なく)ということになります。特に、多数決合議は同調による相関の影響が大きく、現実に楽観合議に劣ることがあるというのは、相関効果のためではないかと考えられます。楽観合議も棋力差の影響を受けやすく、最善合議には劣りますが、実装が簡単であり、また、相関効果に対して頑強である点が優れていると言えます。

また、今回の多数決合議の話は、政治の民主制の話ともリンクしているかもしれません。合議を上手く機能させるためには、情報格差が少ない方が望ましく、そのためには教育や報道の役割が重要になります。また、熟議したり、間接民主制で段階的に均らしたりすることも意味があると考えられます。さらに、相関効果を減らすために、各自が様々な視点の情報に幅広く触れ、同調的にならないことも大切になるでしょう。この辺は、メディアのあり方とも大きく関係している気がします。

以上、今回は、合議の効能について少し詳しく考えました。実際に電王戦合議制マッチの多数決合議がどれくらい機能するのかについては、実機で検証してみないと何とも言えませんが、同系統ソフトによる相関が小さくないこと、上位と下位の棋力差が大きいことを鑑みると、上手く機能しない可能性も少なくないと考えられます。

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付記:最善合議について(2016年12月31日)

一般的にN台の多数台合議を考えましょう。各台の最善手をB(i)、評価値をV(i)、確率分布の標準偏差をs(i)とします(i = 1, 2, ..., N)。B(i)の中に出てくる最善手がk種類だとして、それぞれの手をb(j)と書くことにします(j = 1, 2, ..., k)。k = 1の場合には、その手を選択する以外にはありませんので、k > 1の場合を考えます。

最善合議は最尤法によって与えられます。すなわち、b(j)を真の最善手だと仮定した時に現在の状況になる確率P(j)が最も大きくなるb(j)を選択すればよいわけです。

候補手の数がnの局面において、確率P(j)は、

\[P(j) = C \prod_{i = 1}^{N} F[b(j), B(i), V(i), s(i)] [E_{y}[V(i), s(i)]]^{n - 1}\]

となりますが、規格化係数C等、b(j)に依らない部分は比較の際には無視できますので、

\[\prod_{i = 1}^{N} F[b(j), B(i), V(i), s(i)]\]

の部分のみを比較すれば十分です。結果的に、合議は候補手の数nには依存しません。

ここで、式中のF[b, B, V, s]というのは、b = Bの時には、

\[G_{x}[V, s] E_{y}[V, s]\]

となり、そうでなければ、

\[G_{y}[V, s] E_{x}[V, s]\]

となる関数です。また、真の最善手の真の評価値をA、残りの候補手の真の評価値をA - dとして、

\[x = \frac{V - A}{s},~ y = x + \frac{d}{s}\]

とすると、ガウス関数部分は、

\[G_{x}[V, s] = e^{- x^{2} / 2}\]

\[G_{y}[V, s] = e^{- y^{2} / 2}\]

になり、誤差関数部分は、

\[E_{x}[V, s] =\text{erf}(\frac{x}{\sqrt{2}}) + 1\]

\[E_{y}[V, s] = \text{erf}(\frac{y}{\sqrt{2}}) + 1\]

になります。

誤差関数erf(x)は、C++ならcmathをincludeすれば、そのまま使えますが、あまり速くはないようです。実際、筆者が適当に作った関数でも(g++で)5倍程度の速さが出ます。

さて、実際に模型の計算を超えて、現実に適用しようとすると、dとs(i)は調整変数として最適化する必要があります。また、それとは別にAを予測しなければならないわけですが、こちらは、最善手とそれ以外とを等確率だと荒く近似し、

\[A \approx \frac{k - 1}{k} d + \frac{1}{N} \sum_{i = 1}^{N} V(i)\]

として合議を行えば、結果に大きな違いは出ないようです。

下図に、

\[s(1) = s(2) = ... = s(N) = 2 d\]

の場合の最善手率を示します。棋力差も相関もない理想的な状況です。

council_3

Aの予測に上の近似式を用いた予測最善合議の結果(青十字点)は最善合議の結果(黒点)とほぼ一致します。また、台数が多くなっても、最善合議が楽観合議(赤点)を大きく上回ることが分かります。

前回の記事「チェスの不正解析 2:調査手法」では、統計解析のためのデータを取得する方法を紹介しました。今回は、Regan教授らの論文(K. Regan and G. Haworth, ``Intrinsic Chess Ratings'', Proceedings of AAAI (2011); K. Regan, ``Intrinsic Ratings Compendium'', MS (2012))に基き、評価値データから固有チェスレーティング(Intrinsic Chess Ratings)を算出する方法を紹介します。

ここで、「Intrinsic」を「固有」としたのは筆者の翻訳によるものであり、別の翻訳をされている方もいるようです。物理学では「Intrinsic」を「固有」と訳すことが多いため、反射的に「固有」としてしまいましたが、「内在」等の方が相応しいかもしれません。いずれにしても「潜在的に備わっている固有の」というような意味です。プログラム関係では組み込み関数(intrinsic function)でよく目にするかもしれません。

まずは、固有レーティングの前に、通常の“レーティング”について説明します。ここでの“レーティング”というのは、イロレーティングのことを意味しており、集団内での多数の勝敗の結果から、その集団内における相対的な棋力を推定した指標のことです。将棋倶楽部24のレートのことだと言うと、分かりやすいかもしれません。詳細は以下の記事で解説しています。

ここで重要なのは、通常のレーティングは「勝敗の結果」のみで決まるという点です。すなわち「勝った者が強い」というわけですが、この理論は単純で頑強である一方で、それ故の弱点も有しています。例えば、通常のレーティングでは集団内の相対差しか推定することができず、時代や集団に依らない絶対的な棋力を推定することができません。また、棋譜の内容を一切見ていないため、本来の情報よりも遥かに少ない情報で棋力を判断することになってしまいます。当然、極端な場合を除いては、不正解析に応用することもできません。

棋力というのは本当に勝敗のみでしか分からないものなのでしょうか? 素朴な直観としては、勝敗の結果よりも棋譜の内容の方が棋力についての豊潤な情報を含んでいるように感じられます。

その直感をソフトと統計を用いて数値化しようという試みが固有レーティングです。固有レーティングにおいては、勝敗は考慮せず、棋譜の内容だけを見て、棋力を推定します。棋譜の情報を使うため、勝敗だけの情報よりも繊細な解析が可能であり、時代や集団に依らない絶対的な棋力が推定できたり、不正解析に応用できたり、トレーニングや棋譜解析に活用できたりという利点があります。一方で、ソフトに依存した手法であるため、ソフト自身の棋力を推定することができなかったり、ソフトが対象者に比べて十分に強くないと信用しづらかったりというような弱点もあります。

具体的に、固有レーティングを算出する際に用いるのは、各局面におけるMLM(マルチPV)で算出された全ての合法手の評価値(実際には50手程度で十分)と実際の指し手のデータです。探索は十分な深さ(Regan教授らの論文では13)で固定して行います。評価値の符号は手番から見たものとして、例えば、先手番で+なら先手有利、後手番で+なら後手有利にして、常に最善手の評価値が最大になるようにします。局面kにおける候補手i(i = 0, 1, 2, ...)の評価値をV(k, i)と書くことにしましょう。この時、最善手の評価値はV(k, 0)です。

データの解析は以下の2段階に分けられます。

  1. 棋力を直接的に反映していると思われる統計量とイロレーティングとの相関関係を調べる。
  2. それらの統計量をモデルに基づいて推定する。

第1段階は、言い換えると、勝敗に依らない「棋力」の再定義と言えます。ただし、再定義すること自体は自由なわけですが、新しく定義された「棋力」がイロレーティング(勝率)と強く相関していないと、指標として役に立ちません。ですから、「棋力」を表す統計量とイロレーティングとの相関関係を実際のデータに基づいて精査し、また、相互変換の関係式を推定しておく必要があります。この「棋力」を表す統計量から換算されるイロレーティングの推定値が固有レーティングです。

具体的に、Regan教授らの論文では、「棋力」を表す統計量として、最善手との一致率と平均誤差が提案され、最終的には平均誤差が採用されています。

ここで「平均誤差」というのは、最善手の評価値V(k, 0)と実際の指し手jの評価値V(k, j)から計算される誤差d(k, j)の1手あたりの平均値のことです。誤差(※正確には誤差の絶対値)は、単純な差ではデータとの整合性があまりよくないため、

\[d(k, j) = \int_{V(k, j) / u}^{V(k, 0) / u} \frac{dz}{1 + |z|}\]

\[= \frac{V(k, 0)}{| V(k, 0) |}~ \ln{[1 + | V(k, 0) | / u]} - \frac{V(k, j)}{| V(k, j) |}~ \ln{[1 + | V(k, j) | / u]}\]

という関数が使われています(※後者の論文には違う式が載っていますが、前後の記述から、誤植だと思われます)。ここで、uは評価値の単位ですが、本来はきちんと調整した方がよいという注釈付きで、論文では歩兵単位(1歩兵=1ポイント)が使われています(※論文には歩兵の百分の一という記述もあるのですが、表の数字等を見る限り、センチ歩兵単位ではないと思われます)。この関数は、形勢が傾いた局面では人間は指し手の評価値の誤差に対して“鈍感”になるという傾向を反映しています。

平均誤差とイロレーティングとの関係は線形回帰で解析できます(参考「データから線を引く 2:線形回帰と最小二乗法」)。使用する局面データは、定跡部分(論文では16手=先後8手ずつ)と大差の局面(論文では3歩兵以上)を除いた全ての局面です。

結果的に、平均誤差Aと固有レーティングIRとの関係式は、

\[IR = 3571 - 15413 A\]

となります。この式だと、誤差がない場合のレートは3571となるはずですが、チェスの世界王者クラスが2700程度であることを考えると、妥当な数字だと考えられているようです。

次に第2段階として、平均誤差の値を推定します。

ここで、「何で平均誤差を推定する必要があるのか? 生の実測値をそのまま使えばいい」と感じられる方もいるかと思います。特に自然科学分野の人であれば、「どんな理論よりも観測値が正しい」ということが身に染みついていますので、そのような感覚が普通でしょう。

実際に、実測値を用いても悪いということはありません。データが十分に多ければ、実測値も推定値も数値として大きな差はありませんので、どちらでも結果は大して変わりません。例えば、上記の手法を将棋に応用した山下宏氏の論文「将棋名人のレーティングと棋譜分析」では、実測値を用いて線形回帰を行っています(※この論文では、誤差は単純な差で定義されており、また、MLMではなくSLMのデータを用いているために誤差が必ずしも正にならず、負の誤差の平均を「平均好手」、正の誤差の平均を「平均悪手」と区別しています)。

しかしながら、データの量が有限である情報科学においては、敢えて実測値を用いずに、モデルを仮定した推定値を用いることで様々な利点が生じます(※物理学で理論値を観測値で繰り込むのと逆方向の繰り込みに対応します)。実際、もしモデルが妥当であるのならば、推定値の方が実測値よりも多くの情報を反映していますので、データが少量の場合にも対応でき、また、データの雑音に対して頑強になります。さらに、モデルを活用することで、不正解析などの様々な応用も可能になります。ただし、これらのことは「モデルが妥当である」という前提に基づくものであることに注意してください(※この前提を受け入れられるかどうかは、主観確率論を認めるかどうかに近いと思われます:「役には立つが、信用はできない?」)。

具体的には、以下のようにモデルを定めます。

  1. 各々の指し手が独立した確率事象であるとし(相関は無視)、その先験的な実現確率が評価値のみに依存すると仮定する。
  2. 局面kにおける候補手iの実現確率p(k, i)が最善手に対する評価値の誤差d(k, i)の関数であるとして、関数モデルを設定する。
  3. 関数モデル内の調整変数を実際のデータに基づいて推定する。

実現確率p(k, i)が求まれば、例えば、最善手との一致率Mは、

\[M = \frac{1}{N} \sum_{k = 1}^{N} p(k, 0)\]

と推定できますし、平均誤差Aは、

\[A = \frac{1}{N} \sum_{k = 1}^{N} \sum_{i} d(k, i) p(k, i)\]

と推定できます。ここで、最善手の実現確率p(k, 0)は、もし1に近ければ、“この一手”という単純な局面に対応し、もし低ければ、他に有力な候補手がある複雑な局面に対応します。また、実現確率を帰無仮説に用いて、実際の指し手を統計的に検定することで、不正解析に応用することもできます。

平均誤差が実現確率に依存していることから分かるように、実現確率は棋力や棋風に依存します。このため、推定に用いるデータは棋力や棋風を統一したものである必要があります。Regan教授らの論文では、棋風は特に考慮せず、イロレーティングで区分けされた棋譜データを用いています。

具体的に、Regan教授らの論文では、

\[\frac{\ln{[p(k, 0)]}}{\ln{[p(k, i)]}}~ = e^{-(d(k, i) / s)^{c}}\]

という関数モデルを用いています(※後者の論文では左辺の違った式が書かれていますが、誤植だと思われます)。sは評価値のスケールを決める逆感度変数であり、棋力が高い程、小さくなり、評価値の変化に対して敏感になります(※論文ではsを感度変数としていますが、意味としては逆なので、ここでは逆感度変数としました)。cは関数の形状を決める整合変数であり、棋力が高い程、大きくなり、最善手付近の手を整合的に選ぶようになります。右辺の関数の形は、連続した単調減少関数であればよいので、上記の逆指数関数の他に、逆多項式関数やロジスティック関数等も考えられますが、どれでやっても結果はさほど変わらないようです。

ちなみに、上記のような関数モデルを用いると、実現確率が分かっている場合には、逆に解いて、評価値の方を求めることもできます。例えば、激指の場合には、ロジスティック回帰を用いて、実現確率を最大化するように機械学習を行っています(最尤法)。この手法は、一見すると評価値の差を用いて学習するボナンザ系統の機械学習とは全く別のものであるように思われますが、実現確率と評価値との間の関数モデルを適切に設定すると、両者は同等(もしくは類似)のものに帰着されます。

さて、残りの作業は、sとcの2つの変数を推定するだけですが、Regan教授らはこれに意外と苦戦しています。通常的な最小二乗法や最尤法では中々上手くいかないらしく(※この時点でモデルやデータの信頼性に疑問符をつける方も多いかと思われますが)、パーセンタイルを用いた特殊な推定法を用いています。詳細は省きますが、結果的に良好な結果が得られたようです(※ただし、モデルが信用できるかは別の話です)。

以上、Regan教授らの論文に基づいて、固有チェスレーティングについて、簡単に解説しました。この考え方は、将棋にも直に応用可能なものであり、また、棋譜データを解析する上での基本知識になるかと思われます。モデルの信用性については様々な異論もあるかと思われますが、その辺の検証も含めて、“将棋メトリクス”の今後の重要な課題であると言えるでしょう。

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