前回の記事「イロレーティングの散歩道 3:ゆらぎのある非理想世界」では「表示レートにゆらぎのある非理想世界」を考え、E君を外部の世界から召還して、E君の軌跡の標準偏差とゆらぎの標準偏差との関係を明らかにしました。
しかしながら、わざわざE君を外部から召還する必要はあったのでしょうか? 理想世界の場合には、実力レートと表示レートが異なる部外者がいないとそもそも話にならないため、E君の召還は必須でした。しかし、非理想世界の場合には、元から実力レートと表示レートが異なっているため、部外者に限らず、内部の任意の住人にE君という名前を付けても、同様のシミュレーションができ、同様の結果が得られるはずです。
「別にE君が外部の人でも内部の人でもどっちでもいいだろ」と思われるかもしれませんが、もしE君が内部の住人である場合には一つ大きな制約が発生します。それは、「E君の揺らぎ」と「住人の揺らぎ」とが一致しなければならないということです。前回の記事の記法で書けば、\[s_{e} = s_{w}\]でなければならないということであり、もし一致しなければ、「E君が内部の住人である」という仮定との間に矛盾が生じてしまうことになります。
このような矛盾がない世界を自己無撞着(セルフ・コンシステント)な世界と言います。自己無撞着な世界においては揺らぎの標準偏差と軌跡の標準偏差とは一致しており、その条件から標準偏差の値も定まります。揺らぎの標準偏差を手で与えなくてもいいという点において、この世界は自律的だと言えます。また、イロレーティングの機構に由来する揺らぎを矛盾なく取り込んでいることから、最初に考えた理想世界と比べて、かなり現実に近い世界になっていると考えることができるでしょう。
実際に、前回の結果から、自己無撞着な世界における標準偏差を求めてみましょう。
上の図は前回のものと同じですが、自己無撞着条件:\[s_{e} = s_{w}\]を表す直線(緑線)が書き加えられています。計算結果が回帰直線でよく近似されていると考えると、回帰直線と緑線との交点が自己無撞着な世界における標準偏差ということになります。例えば、S = 100、K = 16の時には、\[s_{e} = s_{w} = 0.0005132 s_{w} + 37.68\]ですので、求める標準偏差は37.70になります。同様に、S = 100、K = 32の時は53.90となり、S = 400、K = 16の時は37.64となり、S = 400、K = 32の時は53.69となります。
前回の記事で「これ以上の先を示しても、あまり意味がない」と書いたのは、この自己無撞着条件のことがあったからです。
さて、ここでは首尾よく交点が求まったわけですが、もしもイロレーティングが揺らぎに対して頑強ではなく、関係が非線形的に大きく変化するというような場合には、交点を持たないという状況も考えられます。そのような状況では、「自己無撞着条件を満たす解が存在しない」という事になるため、自己無撞着な世界は安定的に存在できずに崩壊してしまいます。そして、「自己無撞着な世界が崩壊する」ということは、「これまでの暗黙の仮定が成立しなくなる」ということを意味しており、「システムが想定通りに機能しない」ということを示しています。このため、安定性は非常に重要であり、システムには安定性を確保するための頑強性が必要になるわけです。その点で、今回の結果を見る限りでは、イロレーティングは非常によくできたシステムであると言うことができます。
記事の最後に少しネタばらしをしておくと、実は、前々回から今回までの一連の手法は、理論物理学で物質を研究する際の常套手段の一つであり、言わば、将棋における手筋のようなものなのです。特に、システムの安定性の部分は物理学的にもとても重要であり、不安定性は、例えば、固体が液体になったり、磁石の磁力がなくなったりするような物質の様相の変化(相転移)と深く関係しています。また、最初にE君を部外者として導入した手法は、物理学では摂動的方法と呼ばれ、最も基本的な研究手法に当たります。こうしたステップを踏まずに、いきなり複雑なシミュレーションを組んで計算したらこうなりましたというような流儀もあり、そちらの方が効果的であるという状況もあるのですが(結果だけが大事な場合や系が複雑すぎて単純化が機能しない場合など)、やはり物事を深く理解しようという場合には、時間をかけて、段階的に多角的に掘り下げていくという流儀が基本になるのではないかと筆者は考えております。
以上、今回は自己無撞着な世界を考えて、安定性を確認し、矛盾が生じないような標準偏差の値を計算しました。結果的に、イロレーティングの頑強性により、自己無撞着な世界の標準偏差の値は理想世界のものとあまり変わらないということが分かりました。
次回は、これまでスキップしてきた境界の問題について考えます。
- 次の記事:「イロレーティングの散歩道 5:境界による“搾取”の問題」
- インデックス:「イロレーティングの散歩道 1:序論と目次」
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