2016年5月に開催される第26回世界コンピュータ将棋選手権において、フィッシャークロックルール(10分+一手ごとに10秒加算)が採用されるとのことです。これまでの持ち時間は、第25回が10分+秒読み10秒、それより前は25分切れ負けでした。ここ数年は、おそらくは電王トーナメントの影響等もあって、最適なルールを模索している状態のようです。
一般論として言えば、切れ負けは、対局時間の管理がしやすく、大会運営に有利である反面、長手数の対局になると極端に棋譜の質が落ちるという問題点もあります。一方で、秒読みやフィッシャークロックルールでは、対局時間の見通しが難しくなる反面、長手数の将棋になっても指し手の品質を保つことができます。結果的に、大会の運営と対局の品質とが秤にかけられる関係になっているわけです。
また、第25回の選手権においては、会場のネット環境の影響もあって、秒読みにおける時間切れのトラブルが問題となりました。開発者としては、できるだけ長く考えさせて思考時間を増やしたいわけですが、指し手の伝達遅延が発生しうる不安定なネット環境においては、ギリギリまで考えさせると時間切れのリスクが大きくなるため、調整が困難になって、現場で頭を抱えることになってしまうというわけです。今回のフィッシャークロックルール採用の背景には、常に一定時間を残しておくことを可能にして、そうした問題への対処を図ろうという意図もあるものと思われます。
さて、今回は、フィッシャークロックルールについて、簡単に紹介してみたいと思います。
フィッシャークロックルールは、アメリカのチェス世界王者ボビー・フィッシャーが1988年に考案したものです。現在では、ほとんどの主要なチェスの大会で標準的に用いられています。
ここで重要なのは、考案者が「ボビー・フィッシャー」であるという点です。この人は、ただのチェス世界王者ではありません。非常に個性的で、伝説的な業績を残し、波乱の人生を歩んだ人物です。晩年には日本とも深い関わりを持ち、2004年に成田で拘留された際にはニュースにもなりました。彼の人生については、友人であったフランク・ブレイディーが「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」という著書に記しています。当時のチェスの世界が垣間見れたり、フィッシャーの奇行に思わず頭を抱えたり、腹を抱えたり、それでいて、彼の奇妙な言動も何となく分からなくもないような感じがして、とても興味深い本です。
年表的には、ウィキペディアの「ボビー・フィッシャー」の項目にある通りであり、フィッシャークロックルールは、1992年のフィッシャー対スパスキーの自称「世界選手権マッチ」で最初に使われ、世に広まりました。この試合は、フィッシャーにとって20年ぶりの表舞台であり、17歳の女性への片思い(?)が背景となっていたり、対ユーゴスラビア経済制裁に反する反米的な活動としてアメリカを追われ、成田で拘留されるきっかけになったりと、とても劇的なものです。もし、この試合がなければ、フィッシャークロックルールが普及することはなかったでしょうし、世界コンピュータ将棋選手権に採用されることもなかったと考えると、少し不思議な感じがします。
上記のブレイディーによる評伝には、考案理由について、以下のように記してあります(同書427ページ)。
この新しいシステムなら、持ち時間がなくなったときに数秒以内で慌ててつぎの手を指すということがなくなり、そうなれば時間の切迫による凡ミスが減らせる、というのがフィッシャーの考えだった。対局で自慢すべきなのは読みの奥深さであって、機械的手段による勝利ではない、というわけである。
フィッシャーは非常にルールにこだわる人でした。そのルールへのこだわりは、自分の納得できる条件でなければ試合を拒否するというまでに徹底していました。フィッシャークロックルールも、そうした彼の姿勢から生まれたものであるのは間違いないでしょう。
ブレイディーによる評伝を読む限り、彼のルールへのこだわりは、彼自身が試合で最善を尽くせるようにというのが最大の目的であったように感じます。ただ、もし仮にフィッシャークロックルールが彼自身が有利になることだけを目的としたものだったとしたら、こんなに世に広まることはなかったでしょう。これだけ広く普及したのは、このルールが普遍的に優秀だと認められたためだと思われます。
それでは、ここで言うルールの「優秀さ」とは何でしょうか?
上記の評伝の引用を一般化すると、このようなことになるかと思います。
- そのゲーム固有の面白さを促進させる/損なわないものであること。
- ゲーム運用上の制限内で、各人がより最善を尽くせるものであること。
チェスの場合、ゲーム固有の面白さは「読みの奥深さ」にあって、持ち時間の管理のような「機械的手段」にはないというのが、フィッシャーの主張だったようです。もしその主張が正しいとするならば、フィッシャークロックルールは上記の1の条件を満たすことになります。また一方で、例えば、チェスボクシング(チェスとボクシングが融合したもの)やショットグラス・チェス(駒を取ったら酒を飲むというもの)等は、それはそれで面白いのでしょうが、チェス固有の面白さを損なってしまうという解釈になるかと思います。
また、対局時間を増やすことなく、「時間の切迫による凡ミスが減らせる」という主張は、上記の2の条件に該当します。ゲームの運用に支障をきたすことなく、品質が向上できるのであれば、選手各人の充実感も増しますし、また、見ている観衆にとっても喜ばしいことになります。
一方で、フィッシャーが同様にこだわっていたことでフィッシャークロックルールほど普及しなかったものに、対局数制限無しの10勝先勝方式があります。チェスは引き分けが多い競技ですが、引き分けをポイントに数えずに、勝敗のみで決着をつけようというルールです。フィッシャーの主張によると、
自分の方式なら実際には引き分けの数が減るはずだ、引き分けるよりも勝とうとして、プレイヤー同士がもっと大胆な手を指す対局になるはずだ
ということであり(同書379ページ)、もしもチェスの本来の面白さが、引き分けでポイントを稼ぐことにあるのではなく、勝敗を巡って「血を流して」戦うことにあるのだとすれば、このルールは上記の条件を満たし、「優秀」であると言えます。
では、何故こちらの方のルールは普及しなかったのでしょうか? これについては、上記の評伝の解説で、羽生善治名人がこのように記しています(同書615ページ)。
フィッシャーが望んでいたのは真のチャンピオンを決める理想的なルールであった訳ですが、同時に、運営する、設営する側にとっては現実的には困難なオファーであった訳です。
つまり、いくら「優秀」なルールであっても、現実的には運営者側の都合も無視するわけにはいかないというわけです。この点は、ルールについて考察する際には、忘れずに注意しておく必要があります。
さて、コンピュータ将棋ということに絞って考えると、フィッシャークロックルールは「優秀」だと言えるのでしょうか?
冒頭に記した秒読みの時間調整の問題は、アイデアや技術を競うコンピュータ将棋固有の面白さとは違ったものでしょうから、フィッシャークロックルールは上記の条件1を満たしていると言えるでしょう。また、条件2については、時間切れ負けが減るというだけでも満たしていると言えるかもしれませんが、さらに、同じ思考時間であるならば、秒読みよりもフィッシャークロックルールの方が持ち時間を有効に活かせるという可能性もあるのではないかと思います。
特に最後の時間の有効活用の可能性については、コンピュータ将棋の場合には実際に実験を行って検証することも可能です。例えば、片方を秒読みに、もう片方をフィッシャークロックルールにして、平均思考時間が同等になるように設定(もしくは補正調整)し、自己対局で勝率を測定してみればよいわけです(※持ち時間を有効活用することは、プログラムの効率化と同じ効果がありますので、勝率に影響するはずです)。現時点ではフィッシャークロックルール用に調整されたソフトが公開されていないため、実験は簡単ではありませんが、選手権後には調整済みソフトの公開も期待できるため、簡単に実験できるようになると予想されます。
実験結果にもよりますが、現時点での推測としては、コンピュータ将棋にとってもフィッシャークロックルールは「優秀」である可能性が高いのではないかと思います。それ故に、世界コンピュータ将棋選手権でも採用されることになったのでしょう。
以上、今回はフィッシャークロックルールについて簡単に紹介しました。このルールについて論じる際には、考案者であるボビー・フィッシャーの存在を頭の片隅に入れておくと、議論が少し豊かになるかもしれません。
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追記(2016年3月16日)
チェスソフト(RybkaとCrafty)を用いて歴代王者の棋譜を解析し、時代を超えて棋力を比較しようというプロジェクトがあります(Truechess.com)。棋譜選びの際の抽出期間(1、2、3、5、10、15年間)によって結果は異なりますが、なんとフィッシャーは1~10年間の全てで歴代1位となっています。15年間の場合だけ順位が下がるのは、彼が隠匿生活に入るのが早かったため、未熟な頃の棋譜が数多く含まれてしまうからです。この結果はフィッシャーの天才性を客観的に示す一つの証拠であると言えるでしょう。
コメント
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追記にある「隠匿生活」って、「隠遁生活」か何かの
入力ミスでしょうか?
「隠匿」は犯罪行為に使用されることの多い
表現と思えます。